嫌われてもいいのだろうか

嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』を読みました。
2013年に発売された本で、ベストセラーになっています。

自己啓発系の本に抵抗があるため、
読んでいないという人もいると思います。

タイトルから自己中心的な生き方を推奨する本だと推測されるかもしれませんが、
真逆な他者に貢献することを推奨している本です。

アドラー心理学についての書籍を読んだのはこの一冊ですから、
理解にズレがある可能性は大きいですが...

嫌われるというよりは、他者の期待を満たすように生きることを否定しています。

他者の評価を気にせず、自分が正しいと思った行動をとることは、
場合によっては自己中心的なものになりますが、
重要なことは、他者への貢献につながっている行動をとること。

他者への貢献について迷った場合は、
身近な人<国家<人類
のように、より大きな括りで貢献できるか考える。

身近な人が嫌がる行動でも、社会や人類にとって貢献できる行動をとることは
難しい局面が多いと思います。

例えば、データ改ざんの公表などです。
その会社でのポジションは危うくなってしまいますが、
社会的にみれば正しい行動です。

この行動によって職を失ってしまう可能性もありますが、
「いま、ここ」を真剣に生きることが「アドラー」の教えですから、
職を失うことなど二の次になるのでしょうね。

また、サイコパスの存在も気にかける必要があると思います。

サイコパスの特徴(wikipediaより引用)
犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的
オックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンによると、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、である。現状では、チェックリストのみが診断基準であるので医学的にサイコパスと同じ状態であっても反社会性がなければサイコパスとはならない。反社会性などの診断基準を満たす者は幼少期からの素行問題など行動面の異常を示すことが多い。

日本国の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律・第5条に、「この法律で『精神障害者』とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」と定義され、精神障害者に該当しつつ、保護の対象者と成る事を法的に認めているが、必ずしも全てが該当するとも言えず、時代相応の医学(科学)的な診断結果に基づいて判断される。

サイコパスに対して嫌われるような行動をとってしまうと、
ターゲットにされてしまうという危険性があります。

サイコパスに関する書籍を読んだことがあるのですが、
サイコパスから逃れる方法は、物理的に離れることだと書かれていました。
関わりを避けるしかないということです。
それも故意に離れたことを悟られてはいけないようです。
追いかけてくる可能性がありますからね。

サイコパスは罪悪感を持ち合わせていませんから、
改心させることはできないと考えられているようです。

1つの傾向として、泣きながら謝罪することが多いそうです。
もちろん罪悪感から泣いているわけではなく、
泣くことで許されるケースが多いためです。

周囲に大げさに泣いて謝罪する人がいる場合は、
行動を注視しておいたほうがいいかもしれません。

 

様々なリスクがあるため、
「嫌われる勇気」に書かれていることを全て実践するには、
相当な覚悟が必要です。

比較的実行しやすいのは、「自分の課題と他者の課題を分離」すること。

課題の分離の考え方を持つことで、対人関係のストレスが少なくなると思います。
余計なことを考える必要がなくなりますからね。

「嫌われたくない」と願うのは自分の課題で、
「嫌うかどうか」は他者の課題。

自分の選択について他者がどのような評価を下すのか、
これは他者の課題であって、自分にはどうにもできない。

すべての人から嫌われないように立ち回ることは、
不自由きわまりない生き方で、同時に不可能なこと。

馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない。
援助はするが強要はしないというスタンス。

他者の課題については介入しないという考え方をすることで、
ある程度は対人関係のストレスから解放されるのではないでしょうか。

 

自己啓発本を読んだ後は、自分が1UPしたと勘違いしてしまうことがありますから、
注意しなければいけないですね。

飲み会の席など、上から目線で自己啓発本に書かれていることをひけらかすと、
違った意味で嫌われてしまう可能性があります。